
経営と事業
少子高齢化の本質的改善をする、UKERU合同会社の代表、久田晃です
2026.07.09
少子高齢化をぶっ飛ばす
少子高齢化をぶっ飛ばす。
UKERU合同会社はそのためにある会社です。
いきなり大きく出たなと思われるかもしれません。
しかし、少子高齢化が悪だとは思っていません。
そういう構造に世の中がなっていくこと、そのものを否定するつもりはありません。
受け入れています。
ただ、その裏側には、もっと本質的な課題があると思っています。
私たちが向き合っているのは、少子高齢化にまつわる数字ではない。
私たちが見ているのは「人」です。
向き合う対象は、人と人がつながる力、コミュニケーション、人間関係、自己肯定です。
そこが崩れているから、この国の人口は減っていく。
私はそう見ています。
2035年までに、少子高齢化といえばUKERU、と言われる会社になる。
本気で言っています。
小さな会社が何を言っているんだ、と笑われるかもしれません。
それでいい。
なぜここまで言い切るのか。
順番に書いていきます。
久田晃まず、数字を見てください
- ● 2025年の出生数 67万1236人(日本人・過去最少)
- ● 10年前 約100万人。
10年で30万人以上の減少 - ● 2024年 68万661人(初の70万人割れ)
- ● 合計特殊出生率 1.14(2025年・過去最低。10年連続の低下)。
人口維持に必要な水準は2.07 - ● 総人口 約1億2305万人。
この5年で309万人減(統計開始以来、最大の減少幅) - ● 自然減 年 約91万人
自然減の91万人というのは、中規模の政令市がひとつ、毎年消えていく規模です。
支える側の数もはっきり変わりました。
- ● 1950年代 高齢者1人を12人で支える
- ● 2024年 2人
- ● 2070年 1.3人(推計)
12人で担いでいた神輿をこれから1.3人で担ぐ。
そういう話です。
私はこれを、大変ですね、で終わらせたくありません。
原因は「産まなくなったこと」ではありません
ここは誤解されがちなので、整理します。
- ✕ 子どもを産まなくなったから、少子化が進んでいる
- ✓ 結婚する人が減ったから、出産が減っている
- ✓ 少子化の要因の約8割は未婚化(国立社会保障・人口問題研究所)
海外との違いも大きいところです。
日本では結婚が出産の入り口になっています。
- ● 日本の婚外子の比率 約2%
- ● フランスの婚外出生 約6割
結婚しないと産まない。
産めない。
そういう社会です。
だから結婚が減れば、そのまま出生が減ります。
婚姻数を見てください。
- ● 婚姻数 1972年 109.9万組(過去最多)→ 2024年 約47.5万組
- ● 生涯未婚率 男性 約28%
半世紀で、半分以下になりました。
この間、日本の人口はむしろ増えています。
3人に1人近くが、一度も結婚しないまま人生を終える時代になりました。
では、なぜ結婚する人が減ったのか。
昔の日本にはお見合いという仕組みがありました。
1945年ごろは、結婚のおよそ7割がお見合いだったと言われています。
今は9割以上が恋愛結婚です。
つまり、こういうことが起きました。
恋愛が得意でなくても結婚にたどり着ける道が、社会の側に用意されていた。
それが無くなった。
自由になったのです。
自由はいいことです。
ただし自由な市場では、選ばれる人はずっと選ばれ、選ばれない人はずっと選ばれません。
2025年、結婚と出産の連動が切れました
ここまでは、結婚する人が減るから子どもも減る、という構図の話です。
少子化は長いあいだ、そう説明されてきました。
ところが2025年のデータは、その前提そのものが崩れたことを示しています。
結婚は増えたのに、子どもは減りました。
- ● 2025年の婚姻数 約48万9000組(2年連続の増加)
- ● それでも出生数は67万人台。
過去最少を更新
結婚が増えれば子どもも増えるはずなのに、逆の動きが起きた。
結婚と出産の連動が弱まる、新しいフェーズに入ったということです。
理由は2つあります。
- ● 有配偶出生率、つまり結婚した夫婦の出生率が、2015年を境に逆転した。
かつては出生数を押し上げる方向に働いていたが、今は押し下げる方向に転じている。
結婚しても子どもは1人にとどめる、という選択が増えた - ● 結婚から第一子の出産までの期間が伸びた。
2024年時点で、平均2.8年。
今増えた結婚が出生に反映されるのは2026年から2027年以降で、しかも上がり幅は限定的になる
出生順位で見ると、第1子はほぼ横ばいです。
落ち込みが一番大きいのは第2子でした。
経済的な負担と、共働きでの育児負担。
1人で精一杯、という家庭が増えています。
地域でも割れています。
- ● 東京都の出生率は0.96。
3年連続で1.0を割った - ● 最も高い沖縄でも1.52。
維持に必要な2.07には遠い - ● 東京は出生率が全国最低なのに、23区の出生数は増加に転じた。
地方から若い女性が流入し、母数が増えているため - ● その裏返しとして、減少は地方に集中する
もうひとつ、これが一番こたえます。
社人研の推計では、2025年の出生数を74.9万人と見込んでいました。
実際は67万人です。
67万人台への落ち込みは2040年の想定でした。
15年、前倒しになったことになります。
年金や医療の制度を組み立てる前提の数字そのものが、実態と合わなくなった。
そういうことです。
私が一番腹が立っていること
ここからが本題です。
私が一番腹が立っているのは、少子化対策が「すでに結婚した人」ばかりに向いていることです。
- ● 児童手当
- ● 学費の無償化
- ● 育児給付金
どれも大切な施策です。
否定しません。
でも、見てください。
全部、結婚したあとの話です。
少子化の原因の8割が未婚化なのに、その手前で立ち止まっている人には、ほとんど何も届いていない。
火元を放っておいて、燃え広がった先にだけ水をかけている。
私にはそう見えます。
そしてもうひとつ。
一番難しいところがまるごと放置されています。
コミュニケーションと、出会いです。
ここが一番難しい。
学校では教わりません。
友達にも聞けません。
教えてくれる人がどこにもいない。
それなのに、対策は「出会いの場を増やせば解決する」で止まっています。
マッチングアプリが普及し、国や自治体も、出会いの場やアプリに投資し、政策を打つようになってきました。
ただ、私は見ていて、これが本質的な解決になるとは思えません。
出会いの数を増やしても、コミュニケーションの課題と、自分に対する思い込みが残ったままなら、結局は使いこなせる一部の人だけがうまくいく。
そういう構図になるだけです。
蛇口だけ増やして、コップの穴を直していない。
実際、マッチングアプリが普及して、出会いの数そのものは増えました。
ところが起きたのは二極化です。
選ばれる人にさらに集中し、選ばれない人はもっと選ばれなくなった。
恋愛強者と、恋愛弱者。
そう呼ばれるような分かれ方をしてしまった。
恋愛強者は3割、とよく言われます。
感覚的な話に聞こえますが、これには数字の裏づけがあります。
- ● 18〜34歳の独身で「恋人がいる」割合は、1980年代から2021年までほぼ3割前後のまま(出生動向基本調査)
- ● 2021年、男性の恋人いる率は21.1%。
1982年は21.9%。
40年間、ほとんど動いていない - ● 逆に「交際相手がいない」のは、男性72.2%、女性64.2%
出会いの手段はこれだけ増えたのに、恋人がいる人の割合は40年前と変わっていません。
ただし、この3割を恋愛強者と呼ぶ定義には議論もあります。
今はつき合っていないだけの人も含まれるからです。
そもそも私は恋愛強者とか恋愛弱者という言葉が嫌いです。
使いたくありません。
人生に勝ち組も負け組もないし、恋愛に強者も弱者もない。
ただ、何かの分野に長けていて、何かの分野が苦手なだけです。
ひとつのことだけを切り取って、強者だ弱者だ、勝ち組だ負け組だと言うのは、とても視野が狭く見えます。
それでも、残りの7割が昔なら仕組みに支えられていた側だ、という事実は動きません。
その支えだけが先に外されました。
そこで何が起きるか。
自己肯定感が削られます。
やがて、恋愛したいという気持ちそのものが消えていきます。
一番つらいのは、なぜ選ばれないのか、その理由が本人にも誰にもわからないことです。
理由がわからないまま断られ続ける。
最後は自分が悪いのだと結論するしかなくなる。
そのうえ世間には、モテない人を笑っていいという空気があります。
これが本当に嫌なんです。
支えを外しておいて、転んだ人を笑う。
そんな話はないだろう、と思っています。
だから、はっきり書きます。
あなたが悪いんじゃない。
女性が悪いのでも、国が悪いのでも、あなたの努力が足りないのでもない。
ただし、誰も悪くないから仕方ない、で終わらせる気もありません。
悪者はいなくても、悪い構造はあります。
仕組みからこぼれた人を受け止める場所がこの社会にまだ無い。
悪いのはそれです。
無いなら、私が作る。
それだけの話です。
少し、私自身の話をします
6歳のとき、親に初めてゲームを買ってもらいました。
クロノトリガーというRPGです。
戦闘の場面になると、手が止まってしまう子どもでした。
敵を倒す。
争う。
どうしても気が進まない。
この感覚は今も変わりません。
レゴとプラモデルと折り紙が好きでした。
頭の中にあるものを一人で黙々と形にしていく。
あの時間がただ好きだったんです。
そして、コミュニケーションは少し苦手でした。
争いごとが好きではない。
ものを作るのが好き。
人と話すのはあまり得意ではない。
そういう子どもでした。
女性に縁がなく、遠くから、かわいいな、と思っても何もできない。
年に奇跡的に1人、連絡先を交換できることがあっても、続かない。
しんどかったのはその理由がまるでわからないことでした。
何か悪いことを言ったのか。
見た目の問題か。
そもそも自分に価値がないのか。
そうやってぐるぐる考えて、自信だけが削られていく。
10代も20代も、私はずっと、自分は人に好かれないという感覚を抱えて生きていました。
15歳のとき、クラスの女の子に、冗談ではないトーンでこう言われたことがあります。
なんでそんなに自己中なの。
そのときは気にも留めませんでした。
ただ、歳を重ねるほどに、あれは本当だったんじゃないかと思うようになりました。
20代は、理学療法士として病院でリハビリの仕事をしていました。
税引き前の年収は300万円に届くかどうかでした。
30代のときに、自閉症スペクトラムと診断されました。
人の気持ちを察するのが、生まれつき得意ではない側の人間だった、ということです。
ただ、だからこそだと思うのですが、私は人の背景や、今この人が何を考えているのかを、後天的にめちゃくちゃ身につけてきた感覚があります。
相手の気持ちを察する。
人が不快に思うようなことを言わないよう、一言添える。
そういう癖がつきました。
この人は今、何を考えているんだろう。
何を思っているんだろう。
どういう背景があるんだろう。
それを、実は幼少期からずっと考えていたんだな、と最近になってようやく気づきました。
私が個人として生きるうえでの理念は、知ること、です。
相手を知る。
自分を知る。
自分が知らないということを知る。
当時の私は自分がダメだからだと思っていました。
でも、違いました。
コミュニケーションの問題は、たいてい自分では気づけないところにあります。
指摘してくれる人がいなければ、一生気づけない。
練習する場所もない。
私は欠陥品だったのではなく、機会の無い場所に立っていただけでした。
これに気づくまでに、30年かかりました。
だから今、同じ場所に立っている人には、30年より早く気づいてほしいのです。
人は、環境で変わります
私は地方の出身です。
20代のあいだ、理学療法士として病院で働いていました。
専門職です。
とても良い仕事だと思いますし、今でもやってよかったと思っています。
ただ、本当に自分がやりたいことは何なのか。
そう考えたときに、詰まりました。
理学療法士はなんとなく始めた仕事でした。
そこにストーリーはなく、思い入れもありませんでした。
30歳になるとき、もう一度、考えました。
本当は自分は何がやりたいんだろう。
その頃、たまたま筋トレにとてつもなくハマっていました。
毎日2時間くらい、トレーニングをしていた時期です。
そこで、ふと思ったんです。
理学療法士とトレーナーを掛け合わせたら、めちゃくちゃいいトレーナーになれるんじゃないか
トレーナーになりたい。
そう思って、いろいろ調べました。
そうしたら、行きたいジムが見つかったんです。
そのジムがたまたま東京にありました。
正直に言うと、当時の私は、上京したいなんて一度も思っていません。
ただ、行きたいジムが東京にあった。
だから、東京に行くしかなくなった。
それだけです。
決めたのは家でした。
ボロくて丸いテーブルの上で、履歴書を書いていたときです。
俺はなんで東京に行くんだ。
ここで働きたいから。
でも、大きなテーマがないとダメだな。
そんなことを考えていました。
20代の終わりという節目でもありました。
今までとは違う自分を見てみたかった。
そのとき、もうひとつ決めたことがあります。
これからは自己中心ではなく、人を思って生きる。
誰かの一言がきっかけになったわけではありません。
幼少期からの積み重ねです。
自分にはすぐ、自分のことしか考えない癖がある。
15歳のあの言葉がずっと引っかかっていました。
その自分を打破したかった。
そのために、東京でパーソナルトレーナーとしてやっていくと決めました。
受かるか受からないか分からない状態で、引っ越し先を決めました。
受からなかったら、そのときは最悪、別のジムに転職すればいい。
何が何でも行くんだ、と思っていました。
ただ、本当に運が良いことに、そのジムに合格しました。
めちゃくちゃ嬉しかったです。
そして3月下旬、降り立ったのは蒲田駅でした。
これが東京か。
そう思いました。
4月1日から、待ちに待ったトレーナーとしての活動が始まりました。
最初のパーソナルトレーニングジムでした。
一緒に働いたのは私を含めて4人。
期間は1年にも満たない、短い時間でした。
ある日、ジムの中でトレーナーが円になって、ミーティングをしました。
よくある場面です。
私はそこで、思い切っていくつか提案をしてみました。
それいいね。
めっちゃいい。
みんながそう言ってくれたんです。
自分の意見を言っていいんだ。
これが受け入れてもらえるということなのか、と初めて実感した瞬間でした。
あの場面は今もはっきり覚えています。
今もお互いの誕生日には必ずご飯に行きます。
期間は短かったですが、受け入れてもらえたという実感が、後に受けるを社名にした根本的なきっかけになりました。
期間の長さではないんです。
受け入れてもらえたという実感が人を変える。
私が、受け止める場所さえあれば人は変われる、と言い切るのは、理論だからではありません。
これが私に起きたことだからです。
トレーナーを始めて2年ほど経った頃、同じ会社で営業の仕事も任されるようになりました。
パーソナルトレーナーになりたい人が通うスクールの、入学カウンセラーです。
トレーナーと営業の兼務。
二足のわらじでした。
正直に言うと、営業だけは絶対にやりたくない仕事でした。
高いものを売る罪悪感。
断られる怖さ。
嫌われたらどうしよう、というビビり。
案の定、まったくうまくいきませんでした。
当時の私の営業は典型的な失敗パターンです。
商品を説明して、資料を見せて、いかがですか、と聞く。
それだけでした。
変わったのは定義が変わったときです。
営業とはその人の人生が良くなるための提案である。
そう気づかせてくれたのが『営業の魔法』という本でした。
著者は中村信仁さんです。
私の人生を本当に変えた一冊です。
そこから、提案の中身も、言葉の熱も、表情も変わりました。
結果が出はじめました。
同時に、自分に禁止事項を課しました。
強制的に買わせない。
錯覚させて買わせない。
短期的には売上になっても、中長期では全員が不幸になるからです。
成約しなかったときも相手のせいにはしない。
自分の提案はどうだったか、この人にとって最高のプランになっていたかを問い直す。
そして、断った相手の断る勇気は、称賛する。
営業の2年間で手に入れたのは売る技術ではありませんでした。
人は、自分を本気で思ってくれる提案なら、人生を変える一歩を踏み出せる。
その確信です。
そして、あるとき決めました。
YouTubeで発信しよう。
営業を極めていく中で、もっと極めたい、でも別のフィールドに行きたいと思うようになりました。
何がいいだろうと考えたとき、ふと、自分は恋愛に困っていたなと思い出したんです。
20代の頃、恋愛はまったくうまくいきませんでした。
マッチングアプリをやってもマッチしない。
1ヶ月やってマッチしたのは5件、それも業者ばかりでした。
挙句の果てにはブロックされる始末です。
でも、ここで諦めたら俺は一生モテない人生のままだ。
私はASDで、コミュ障です。
それなのに、モテたいという願望だけは人一倍強かった。
だから常に、欲求不満のような状態でした。
そこで決心したんです。
営業というスキルを応用して恋愛に活かし、それを発信しよう。
やる前から、このフィールドでやっていくことも、発信することも決めていました。
ただ、人に教える側に回るなら、まず自分が誰よりも結果を出さないといけない。
修行が要る。
そう思いました。
自分と同じ気持ちの人が絶対にいるからです。
かつての私と同じ場所で、理由もわからないまま自信を削られている人がいる。
今から自分がやる2年、3年の修行は、必ずその人たちのためになる。
だから、まず自分が結果を出す。
人様に教えられるくらい、人がお金を払ってでも教えてくださいと言うくらいのものを、手に入れないといけない。
それができるまで、教える資格はないと思っていました。
仕事を辞めました。
そこから2年間、マッチングアプリを軸に、恋愛だけに打ち込みました。
1日18時間です。
一番苦しかったのは社会から取り残されている感覚です。
この先うまくいくかどうかもわからない。
ずっと不安定な状態でした。
一番うれしかったのはひとつのフィールドで一番になれたこと。
そして、人に教えられるだけの経験が実際に積めたことです。
人のために何かできるな、と思えた瞬間でした。
だから私は、人付き合いは生まれ持った性格で決まる、という考え方に賛成できません。
コミュニケーションは技術です。
ただし、ネットに転がっているテクニックを真似るだけでは変わりません。
問題は自分では気づけない場所にあるからです。
指摘してくれる人と、練習できる環境。
この2つが揃って、初めて技術になります。
その2つを今度は自分が渡す側に回る番でした。
猛暑のなかの、500円
フリーランスになったのはその頃です。
1年ほどはトレーナーをやりながら、恋愛を修行しました。
30代の中盤です。
発信をしようと思ったとき、最初に使ったのはYouTubeではありません。
ココナラや、タイムチケット。
ああいうマッチングサービスです。
そこで、写真撮影と、マッチングアプリの攻略を教えるサービスを出しました。
今でもよく覚えています。
人の見よう見まねで画像を作って、コピーライティングを書いて、写真撮影を2時間500円で出しました。
破格の安さです。
猛暑のなか、2時間撮って、500円。
それでも、あの500円には、とんでもない価値がありました。
自分が作ったサービスが売れるんだ。
そう確信できたからです。
一人にでも売れたなら、他にも必ず需要がある。
そう思って、本格的にYouTubeをやろうと決めました。
誰も見ていないところから
YouTubeを始めても、はじめは、まったく人がいませんでした。
最初の投稿は1週間経っても視聴回数が10回です。
そこから3ヶ月間は鳴かず飛ばずで、1動画はだいたい10から30再生ぐらいでした。
発信を始めて4ヶ月目に、ようやく、教えてほしいという人が現れました。
最初の一人です。
その一人には、オンラインとオフラインの両方を使って、時間をかけて向き合いました。
写真を撮り、マッチングアプリの使い方を、一から教えました。
結果、1ヶ月で彼女ができました。
久田晃同時に、アプリをどう効率よく進めればいいのかも、私自身にはっきり見えました。
そこから、恋愛に関する発信をどんどん増やし、企画も打ち出していきました。
すると、参加してくれる人が着実に増えていきます。
1ヶ月に1人、2人と入ってくれるようになり、そこからは伸びていきました。
ただ、自分がやることは絶対に人のためになる。
間違いなくなる。
それだけはずっと信じていました。
教える側になって、見え方が変わりました
続けているうちに、受講生が変わっていく姿を、何度も見ることになります。
はじめは人と関わることが億劫で、メッセージのやり取りすらままならなかった人たちが、見違えるように変わっていくのです。
- ● メッセージのやり取りが、スラスラとスムーズにできるようになる
- ● アプリで、相手のほうから告白される
- ● 両思いになって付き合い、同棲を始める
やり取りを見せてもらいながら思うのは、変わっているのはテクニックではない、ということです。
考え方が変わっている。
思考そのものが変わっている。
そこで気づいたことがあります。
多くの人が自分で自分の可能性に蓋をしています。
自分にはできない、という思い込み。
SNSやメディアで他人と自分を比べて、自分で自分を苦しめている。
私がやっているのはその心のストッパーを外すことです。
正しい考え方と、物事の見方を、一緒に築いていく。
そして最後は自分の力で羽ばたいていってもらう。
これが活動の本質だと思っています。
うまくいかない人に共通していたのは、能力ではありませんでした。
気づく機会が無い。
学ぶ場所が無い。
相談できる相手がいない。
私が20代で立っていた場所と、同じでした。
一人ひとりと話すうちに、見え方が変わってきました。
これはその人だけの問題ではない。
同じところでつまずいている人があまりにも多い。
同じ場所で、同じように自信を削られている。
個人の悩みだと思っていたものが社会の構造から来ている。
そう考えるようになりました。
そして、結婚した方や、同棲を始めた方から、何度も同じ言葉をもらいました。
このサポートがなかったら、この人とは出会えていなかった。
その言葉を聞くたびに思うんです。
出会えるはずだった人たちが出会えないまま終わっている。
今この瞬間も。
コミュニケーションはこういう技術ですよ。
そう伝えながら続けていくうちに、変わっていく人を何度も見ました。
だから、事業として始めました。
ただ、その時点でも、自分が経営者になるなんて、一度も考えていません。
なぜ、少子高齢化なのか
発信を始める前から、ずっと考えていたことがあります。
この発信はどういう社会貢献になるんだろう。
そこで出てきたのがこれでした。
モテると、結婚できる。
結婚すると、子どもができる。
これって、少子高齢化の対策になるじゃん。
根本のきっかけは本当にこれだけです。
あの言葉を実際に教えるようになってから何度ももらいました。
その人たちは結婚して、いずれ子どもも欲しいと思っています。
これは将来、少子高齢化の改善につながるアプローチになるだろう。
そう感じました。
ただ、そこで子どもを持つ人もいれば、持たない人もいます。
持たない人が不幸せなのかというと、まったくそんなことはありません。
だから、順番を間違えたくないんです。
まず本人が、自分の人生を、生きていてよかったと思えること。
これが何よりの大前提です。
数字はその結果としてついてくればいい。
私は少子高齢化を解決したいというより、なりたい自分になれない人がいる、という問題を解きたい。
その結果として少子高齢化が緩むなら、それでいいと思っています。
だから、会社にしました
この仕事はものすごい社会貢献になる。
そう強く感じるようになったのが2023年の終わり頃です。
発信を始めたのが2022年11月なので、1年ちょっとが経っていました。
そこから、考えが変わりました。
個人としてではなく、会社組織として、社会にきちんと認められる事業と経営をやりたい。
フリーランスは、自由で、居心地がいい。
その場所に留まっている限り、これ以上の成長はないとも思いました。
だから、あえて難しいほうへ行くと決めました。
世の中に必要とされ、受け入れられるサービスを作る。
そしてもうひとつ、一人では限界がある、と感じていました。
スモールスタートでいいから、と思ってメンバーを募ってみたんです。
そうしたら、やりたいです、講師として活動したいです、と手を挙げてくれる方が、思っていたより多く集まってくれました。
これが、会社として本格的にやろうと決めた、大きなきっかけです。
ついてきてくれる人がいる。
この事業をいいなと思ってくれる人がいる。
その人たちの役に立ちたい、と思いました。
そして、その人たちが講師や運営として動くことで、その人自身も、なりたい自分になっていく。
一石二鳥だと思いました。
個人事業主から始めて、会社を作って3期目までに、累計で100名以上の方のコーチングやコンサルティングをしています。
フリーランス個人のままでは届く範囲がたかが知れています。
そのとき、思ったことがあります。
私は恋愛発信者や恋愛コンサルタントになりたいわけではない。
そこで初めて気づきました。
もちろん、恋愛を教えるというプレイヤーには誇りを持っていますし、自分でもとても向いていると思います。
しかし、SNSやYouTubeでちまちま発信をしたいわけではないんです。
私がしたいのは、この国の少子高齢化、恋愛、自己肯定感という分野で、本質的な改善をすることです。
今、自分が携わっている恋愛やマッチングアプリという分野は、構造的に穴が空いています。
その状況に、とても怒りを感じます。
モテる人はモテるし、モテない人はモテない。
私たちのような恋愛コンサルタントがいて、そこに投資できた人だけがうまくいく。
それではごく一部の人たちだけです。
そうじゃない。
構造や仕組みによって、全員がありのままの自分のままでうまくいく。
そんな世の中になれば、それが一番いいんです。
現実には魔法のような話かもしれません。
それでも、単なる魔法として終わらせたくないし、諦めたくもありません。
構造と仕組みを作れば、誰もがうまくいくはずです。
そして、冒頭でもお伝えしましたが、少子高齢化を悪だとは思っていません。
少子高齢化は秩序です。
世の中の秩序なので、変えることはできないと私は思っています。
社会の構造を相手にすると決めたなら、こちらも、それに見合う形になる必要がある。
だから、法人にしました。
社名の話
2024年3月15日、UKERU合同会社を設立しました。
3月15日にしたのは315で「最高」と読めるからです。
当て字です。
最高の一日にしたかった。
最高の設立日にしたかった。
それだけの理由です。
社名を決めるとき、私は自分にこう聞きました。
一番好きな言葉は何だろうな。
日常的に自分が使っている言葉で、好きな言葉は何だろうな。
そう考えたときに、パッと出たのがウケるでした。
それで、ウケるにしました。
そして、ウケるって何なんだろう、と考えた瞬間に、3つが同時に出てきたんです。
- ● ウケる商品を作る
- ● 人々を受ける
- ● 世の中を受け入れる
後から理屈を足したのではありません。
言葉を選んだその場で、この3つが立ち上がりました。
私は自分の弱さを受け入れることが足りない人間でした。
争えない自分。
自信のない自分。
人の気持ちを察するのが得意ではない自分。
ずっと閉じ込めて生きてきました。
だから、自分も他人も受け入れる。
その意味をこの名前に込めています。
キャッチコピーは、ウケて、ウケさせろ、です。
ウケて。
自分や他者、社会を受け入れる。
ウケさせろ。
行動やサービスを通じて、人を喜ばせる。
受け入れられなかった人間が、受け止める場所を作るために、受け入れるを社名にした。
今は、そう思っています。
理念は、傷の裏返しでできています
UKERUのビジョンは、なりたい自分になれる社会をつくる、です。
行動指針として、9つのバリューを定めています。
頑張らない。
自分も他人も面白く。
既存に囚われるな。
過去も今も受け入れる。
変化を受け入れる。
挑戦を辞めない。
他者の失敗も過去も受け入れる。
共に成長する。
感謝を行動で示す。
こうして並べると、立派な言葉に見えるかもしれません。
種明かしをすると、この9つは全部、過去の私に足りなかったものの一覧表です。
過去も今も受け入れる、を掲げているのは、私が一番それをできなかったから。
感謝を行動で示す、を掲げているのは、受け入れてもらえたあの1年の恩を、言葉だけで終わらせたくないから。
既存に囚われるな、は、戦闘画面で手が止まった、あの少年の生き方そのものです。
争いが苦手な人間は同じ土俵で競っても勝てません。
だから、違う場所に立つ。
それから、これも書いておきます。
私は全員に好かれる会社を目指していません。
楽して手っ取り早く結果だけ欲しい人には、たぶん向いていません。
誰かを見下すことで自信を得たい人にも向いていません。
私が向き合いたいのは、理由もわからないまま自信を削られて、それでも変わりたいと思っている人です。
誰の味方かを決めるということは、誰に選ばれなくていいかを決めることだと思っています。
現在地
ここまで威勢よく書いてきましたが、実際の経営は、失敗の連続です。
創業した年の夏、初めて業務委託でお願いした方との契約が、1ヶ月ほどで終わりました。
最後にもらった連絡は、体調不良のため今後の対応は難しいです、の一言でした。
報酬の設定は適正だったか。
言葉が強くなかったか。
意見を言いづらい空気を作っていなかったか。
これは私の責任だと受け止めています。
クラウドワークスで、初めて最低評価をいただいたこともあります。
数千円の小さな依頼だからと、どこかで対応の丁寧さを欠いていました。
金額の大小で対応を変えることこそが器の小ささでした。
前日まで熱心だったクリエイターの方が、厳しい指摘をした翌日に、突然連絡を絶ったこともあります。
スマートフォンを持ったまま、しばらく画面を見つめていた記憶があります。
それ以来、大事な話は文面ではなく、通話か対面で伝えると決めました。
最近は一人でやることの限界も感じました。
連絡の返信が3日遅れ、サービスの質が落ちた時期があったのです。
体は動いているのに、思考が止まっていた。
限界というのは、気づいたときには、もう超えているものなんですね。
会社は私のためにあるのではありません。
少子高齢化をぶっ飛ばすと言った以上、この会社が私一人の器で止まっていてはいけない。
だから今、次のフェーズに向けて、弱さを正直に表に出すところから始めています。
弱さを出せる場所と、受け入れてくれる人がいれば、人生は変わる。
受講生の方々に伝えてきたこの言葉は、いつも自分に返ってきます。
かっこいい経営者の物語は書けません。
それでも、受け入れることから始まる会社の話なら、これからも書き続けられると思っています。
少子高齢化の、本質的な改善とは
UKERUが掲げているのは、少子高齢化に付随する本質的な課題を解決することです。
本質的な改善とは何か。
ここははっきり書いておきます。
一番の問題は、コミュニケーションや自己肯定感、そして生活の質といったところでつまずいて、なりたい自分になれないまま、生きづらさを抱えている人がいることです。
その一人ひとりの幸せが実現されること。
それこそが、この国の少子高齢化の、本当の改善につながると私は考えています。
数字を追いかけて、結婚を増やそう、子どもを増やそう、という話ではありません。
順番が逆です。
いま私たちは恋愛のサービスを提供しています。
人とつながる力が一番わかりやすく試される場所だからです。
それと並行して、今年から新しく始めた取り組みがあります。
- ● 自己否定を乗り越え、自己肯定感を高める。
自分へのイメージを塗り替えるためのコーチング - ● 恋愛だけでなく、ビジネスでも日常でも使えるコミュニケーションの指導と、コンテンツの発信
これが2026年に私たちが進む道です。
なりたい自分になれない理由は、恋愛の場面だけに現れるわけではありません。
仕事でも、家庭でも、友人との間でも、人は同じところでつまずきます。
だから、そのつまずきそのものを扱う。
最後に
世の中にはもうひとつ根深い考え方があります。
変わりたいなら、今のダメな自分を否定しろ、というものです。
私はこれにも賛成できません。
自分を否定して始めた変化は続きません。
20代の私が実証済みです。
自分を閉じ込めて、欠点を隠して、それらしく振る舞って。
その先には何もありませんでした。
私が変わり始めたのは、あの円になったミーティングで、ありのままの提案を受け入れてもらえたときからです。
変わることは今の自分を受け入れることから始まる。
これがUKERUという会社の一番奥にある答えです。
かつての私と同じように、理由もわからないまま自信を削られている人へ。
もう一度だけ書きます。
あなたが悪いんじゃない。
気づく機会と、学ぶ場所と、受け入れてくれる環境が、たまたま無かっただけです。
その無かった場所を私は自分の会社で作ると決めました。
もうひとつ、正直に書きます。
私はずっと、人の力になる側のつもりでいました。
でもあるとき、気づいたんです。
生かされているのは私のほうだと。
悩みを持ってきてくれること自体が、こちらにとって本当にありがたいことなんです。
一緒に働いてくれている講師が、自腹で新幹線や飛行機に乗って、会いに来てくれた日がありました。
その日、私はこう思いました。
こういう機会をもらうだけじゃなく、俺も与える側になっていかなきゃな。
一人称が乱れるくらい、素で心が動いた日でした。
この会社は私一人の決意で動いているのではありません。
こういう瞬間の積み重ねで動いています。
100億円あってもこの会社をやめますか、と聞かれたら、絶対にやめません。
これは事業である前に、私の生き方だからです。
支えを外されて転んだ人が、自己責任という話まで背負わされる社会。
私はそれを受け入れません。
一人が自分を受け入れ、自信を取り戻すことです。
その積み重ねの先にしか、この国の出口は無いと本気で思っています。
完璧になってから動く必要はありません。
今日の一歩のほうがずっと大事です。
その一歩を受け止める場所を用意して待つのが、私たちの仕事です。
ウケて、ウケさせろ。
自分を受け入れて、誰かを喜ばせられる人になる。
私もまだ、その途中にいます。
失敗もするし、迷いも消えません。
それでも、今日もひとつずつ、積み上げていきます。
もしこの記事のどこかがあなたの中の何かに触れたなら。
それがこの会社が存在する理由そのものです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
久田晃