少子高齢化において、結婚する人が減っていることが、子どもが減っているもっともの理由のひとつです。
もちろん、医療の発達によって高齢者が長生きするようになったことや、生活環境が整って住みやすくなったことなど、さまざまな要因はあります。
ただ現在の日本では、結婚する人そのものが減り、結果として生まれてくる人数が大きく減少しているという構造がはっきり見えてきています。
出生数は年々減少傾向にあり、この流れは短期的に反転するものではないでしょう。 今後も人口動態は厳しい局面が続くと予測されています。
久田晃自由であるからこそ上がる「決断の難易度」
結婚に至らない理由は一つではありません。私は、自由恋愛が当たり前になったこと自体は非常に良い変化だと思っています。
ただその一方で、かつて存在していた「半ば前提化された結婚」や「周囲からの強い同調圧力」のようなものが薄れたことで、結婚という意思決定の難易度が上がった側面も否定できないと感じています。
現代では、誰もが選択の自由を持っています。結婚するかしないかも完全に個人の権利です。
これは健全な社会の姿ですが、自由であるがゆえに決断が先送りされやすくなる、という現象も同時に起きます。
さらに、結婚資金の問題や長時間労働による育児負担への不安など、経済・労働環境の問題も無視できません。
少子化を考える上での重要キーワード「婚外子」
少子高齢化を語るうえでよく引き合いに出されるのが、合計特殊出生率という指標です。
人口を長期的に維持する水準として、おおよそ 2.07 という数字が一つの目安として語られます。
単純化すれば、「平均して2人以上の子どもが生まれる社会構造」が必要だという考え方です。
ここで、私が非常に重要だと感じているキーワードが「婚外子」です。
婚外子とは、結婚していない男女の間に生まれた子どもを社会や制度がどのように扱うか、という論点に関わる言葉です。
● 日本では依然として「結婚と出産」が強く結びついた社会観が根強く残っています。
結婚していない状態で子どもを持つことに対して、心理的にも制度的にもハードルが高いのが現実です。
● 一方で、ヨーロッパをはじめとする諸外国では、数十年単位でこの価値観の転換が進められてきました。
現在では「結婚していないこと」と「子どもを持つこと」が必ずしも矛盾しない社会も存在しています。
結果として、「結婚しなければ子どもを持ちにくい」という空気が社会全体に存在しています。
当初は当然ながら批判や抵抗もあったはずですが、時間をかけて受け入れられ、現在では「結婚していないこと」と「子どもを持つこと」が必ずしも矛盾しない社会も存在しています。
日本では婚外子の割合は非常に低い水準にありますが、海外ではかなり高い割合を示す国もあります。
この差は、単純な善悪ではなく、「社会設計と文化の違い」から生まれているものだと考えるべきでしょう。
→ 婚姻数の減少
久田晃「既存の価値観」を一度疑ってみる
もちろん、日本にこの考え方をそのまま適用することは簡単ではありません。文化・歴史・制度・国民感情、すべてが異なります。
ただ、「検討の対象にすらならない」という姿勢は、少しもったいないとも感じています。
社会が変化する契機というのは、常に新しい視点や少数意見から生まれるからです。
また、よく「医療が発達したから死亡は減っている」というイメージで語られることもありますが、実態としてはそう単純ではありません。
医療技術が進歩している一方で、高齢化の進行に伴い亡くなる方の総数自体は依然として多い。
ここも冷静に分けて考える必要があります。
このテーマに向き合ううえで、私が強く意識しているのは「既存の価値観を一度疑ってみること」です。
いま当たり前とされている制度や常識も、歴史的に見れば変化の途中にあるものかもしれません。
経営者としての役割
私は政治家でも立法者でもありません。法律を変える力は持っていません。
ただ、一経営者としてできることはあると考えています。それは、「こういう見方もあるのではないか」という問いを社会に投げ続けることです。
私自身、30歳で上京を決意したとき、心に決めたことがあります。「これからは自己中心ではなく、人を思って生きる」という一言です。
少子化のような社会的なテーマに向き合おうとするとき、その根っこにあるのは結局この感覚で、自分一人で完結するか、誰かの人生に関わろうとするかの違いだと感じています。
久田晃できることには必ず限りがある。
その範囲を知ることが行動の精度を高める固定観念に縛られず、多様な価値観を受け止めながら柔軟に考えてい
きたい社会構造の変化は避けられない。
変化の中で人がより自然に生きられる道を探り続けるできることに集中することが、今の自分にできる最善です




コメント