
思考と哲学
与えたのに返ってこない人へ。見返りを手放すと楽になる理由
投稿 2026.08.08 06:34
更新 2026.09.05 19:41
私は、トレーナーや営業をやっていた頃から、人に与えるということをずっと大事にしてきました。
もともとは地方の出身で、30歳のときに上京しています。
そのとき決めたのが、これからは自己中心ではなく、人のために動くという生き方でした。
それまでの自分は、正直、自分のことしか考えていなかったという感覚があったからです。
ただ、与えるというのは、最初からうまくできたわけではありませんでした。
どこまで与えるか、どんな距離感でいるか、見返りを求めずにいられるか。
このあたりは、日々少しずつ積み重ねて、やっとここまで来たという感じです。
久田晃与えているのに、なぜ見返りを求めてしまうのか
多くの人がつまずくのは、ここだと思います。
与えているはずなのに、それが見返りを求めている行動になってしまう。
もちろん私も、最初はそうでした。
「これくらいしたのに」「あのとき、あんな対応をしたのに」。
相手が不義理なことをしたときに、こちらがそう感じてしまう。
でも今は、その感覚はほとんどありません。
まったくないと言えば、嘘になるかもしれません。
それでも、以前とは比べものにならないくらい減りました。
理由はシンプルで、与える軸が変わったからです。
自分がそうしたいからする。
そういう人間でありたいからする。
だから、他人がどう動くかは関係ない。
この軸でやっていると、相手の反応に振り回されなくなります。
与えたあとの相手の出方を、こちらが採点しなくなるからです。
「与えた」と決めるのは、受け手のほうだ
先日、お茶会をしました。
無料で、ご飯も食べられて、私にいろいろ質問できる。
そんな場を、3時間も4時間もやるような会です。
その日、来てくれた人たちに私が話しているつもりでした。
でも実際は、私のほうが多くのものを受け取っていたんです。
来てくれること。私に話す機会をくれること。
本当にありがたいな、と素直に思いました。
そこで逆に、来てくれた人たちは意図的に何かを与えていたのか、と考えました。
おそらく、本人たちに与えている感覚はなかったと思います。
ここで、あることに気づきました。
与えるには、3つのパターンがあるということです。
- ● 意図的に与えている
- ● 無意識に与えられている
- ● 意図的にも無意識にも与えていない
ただ、与えてもらったかどうかは、結局受け手がどう感じるかです。
来てくれたことに感謝していれば、受け手は与えてくれたと感じます。
逆に、ただ勉強しに来て終わったと思えば、与えられたとは感じません。
受け手に価値があると感じる姿勢がない限り、与える側としては与えたことにならない。
だから見返りを求めると、よけいに苦しくなります。
「この前あんなに与えたのに、何もしてくれない」と感じてしまうからです。
久田晃無意識に与えられる人になるには
私は、無意識に与えることも、意図的に与えることも、どちらも必要だと思っています。
無意識に与えるというのは、反射的に与えられているということです。
これはとてもいいことで、意識的に与え続けた結果だと思います。
この人がこうしたら嬉しいだろうな。
それを普段から意図的にやっているからこそ、反射でも出るようになる。
だから順番としては、まず意図的にやることです。
そのうえで、無意識でやれることを少しずつ増やしていく。
これが一番いいと、今は感じています。
- ・いきなり大きなものを与えようとしない
- ・楽しさや知識など、小さいものから渡す
- ・相手に何ができるかを、まず意図的に考える
大きなことをやろうとするほど、見返りを求めやすくなります。
だからこそ、小さいことから与えるほうがいいんです。
私自身、こんな経験があります。
県外に住む講師が、久々に会いたいと、自腹で新幹線に乗って会いに来てくれたことがありました。
正直、すごく嬉しかった。
と同時に、自分はもらってばかりだなと気づいたんです。
だからこそ、自分も与える側に回らなければいけないと思いました。
もっと事業を大きく豊かにして、関わってくれる人に返していこうと本気で決めた。
与えるというのは、こういう小さな気づきの積み重ねなんだと思います。
まとめ
今回は、与えることと見返りについてお話ししました。
個人が見返りを手放して与えられるようになると、その人の人間関係はやわらかくなっていきます。
それは恋愛にも、仕事にも、暮らしにも広がっていきます。
一人ひとりが自分らしく生きられる社会をつくる。
その第一歩は、目の前の誰かに小さく与えてみることだと思っています。
あなたは普段、誰かに何かを与えられているでしょうか?
もしまだなら、今日ひとつだけ、小さなことからやってみてはいかがでしょうか?
久田晃見返りを求めて苦しいなら、自分がしたいから、に軸を戻します。
返るかは、考えなくていい。
