
思考と哲学
教える側になって傲慢になった話|今は学ばせてもらう側だと思う
投稿 2026.10.06 05:03
私は恋愛のコンサルティングやコーチングで、人に何かを教える仕事をずっと続けています。
その中で傷つくことは、本当にたくさんありました。
めちゃくちゃあります、と言ったほうが正直かもしれません。
ただ、教える側になった人は二手に分かれると私は思っています。
今回は、その分かれ道の話をしたいと思います。
久田晃教える側になった人は、二手に分かれます
分かれ道は、偉そうになるか、より謙虚になるかのどちらかです。
私が見てきた限り、この二つ以外の道はほとんどありませんでした。
教える側というのは、客観的に見れば上下関係があるように見えます。
簡単に言えば、先生と生徒のような形ですね。
教える側になるということは、その分野で相手より優秀だということです。
もしくは、知見が多い、経験が多いということだと思います。
だから人に教えられるわけですよね。
ここで片方の人は、自分は偉いんだという方向に進みます。
自分には人に教えられる何かがある、とプライドに変えていきます。
そして場合によっては、傲慢になっていくということもあるんですよね。
もう片方の人は、教えた人たちから何かを感じ取ります。
その結果、自分はこの分野でまだ足りないと気づくほうへ進みます。
あなたが最後に誰かへ何かを教えた日、あなたは相手から何を受け取って帰ったでしょうか?
知識も技術も同じなのに、なぜここまで変わるのか
どちらの人も、その分野に長けているという点では同じです。
知識も技術も、一般の方より多く持っているはずなんですよね。
にもかかわらず、進む方向がここまで大きく変わります。
私は、その差はセルフイメージから来ていると思っています。
自分をどういう人間だと思っているか。
そして、どういう自分を表に出しているか。
そのあたりが積み重なって、二手に分かれていくのだと思います。
これは恋愛の分野に限った話ではありません。
人生全体において、教える側になった途端に偉そうにしたくなるのが人間だと思います。
なったことのないものには、憧れがありますよね。
やっと自分も教える側になったか、と思った瞬間があります。
あの瞬間は、どうしても鼻が伸びるというか、天狗になりやすいです。
正直に書くと、私も完全にそちら側から始まりました。
20代のバーテンダー時代、私は偉そうな態度をしていました
20代の頃、私はアルバイトでバーテンダーをやっていました。
そのときの自分が、非常に偉そうな態度をしていたのを今でも覚えています。
後輩に何と言ったかまでは、正直もう覚えていません。
覚えているのは、偉そうな感じがかっこいいと本気で思っていたことです。
今の言葉で言えば、中二病のような感じで人に接していました。
本当に恥ずかしい限りです。
カウンターの中で、自分は教える側だという顔をしていたんですよね。
そこから人に教える経験をいろいろと重ねて、今は教えることが主な仕事になりました。
だから今、傲慢な人を見ると昔の自分を思い出します。
腹が立つより先に、あの頃の自分の顔が浮かんでくるんです。
その意味で、あの時期の自分は今の私にとって反面教師になっています。
実は今の私は、それとは完全に逆のことをしています。
うちには、恋愛の面で私より優秀な講師の方が4〜5名います。
今年の5月ごろ、受講生の成果を並べて見ていて、自分より明らかに結果を出している講師がいることに気づきました。
以前の私なら、教える側の立場が崩れる気がして素直に聞けなかったと思います。
その日はそのまま、「それ、どうやったんですか」と聞きました。
聞いた瞬間、恥ずかしさよりも先に、早く知りたいという気持ちが来たのを覚えています。
嫉妬がまったく出なかったわけではありません。
ただ、嫉妬を抱えたまま黙っているほうが、受講生にとって損だと思ったんですよね。
教える側の看板を下ろして質問した日から、私の教え方は明らかに変わりました。
教えることは、自分の無知を実感するためにあります
今の私は、教えることの意味を少し違うところに置いています。
人様に何かを教えるのは、自分の無知を実感するためにあるものだと思っています。
そう置いてから、傲慢になることがなくなりました。
質問をしてくださる方から、得られるものが本当にたくさんあるんですよね。
だから今は、逆に学ばせていただきありがとうございます、という気持ちでいます。
教える側が受け取っているものは、お金や感謝だけではありません。
相手のつまずき方そのものが、こちらの理解の粗さを教えてくれます。
教える側になって一番はっきり分かったのは、人によってやり方を変える必要があることです。
同じ内容でも、その人に合わせた渡し方をしないと届きません。
もう一つは、受講生の方が持っている視点そのものです。
話を聞いていて、そういう見方もあるのか、と気づかされることが本当に多いです。
こちらが渡しているつもりで、実際は受け取っている場面のほうが多いくらいです。
同じ説明で伝わる人と伝わらない人がいれば、それは相手の問題ではないですよね。
私の言葉が、まだそこまで届いていないというだけの話です。
教える側になって初めて、自分がどれだけ分かっていなかったかを知りました。
久田晃分からないことが分かるようになるのは、教えた後です
教えることには、もう一つはっきりした効果があります。
自分がその分野をどれだけ理解しているかが、正確に分かることです。
頭の中で分かっているつもりのことは、口に出すとすぐに崩れます。
説明の途中で言葉が詰まる場所が、そのまま理解の足りない場所になっています。
そして、分からないことが分からないという状態からも抜けられます。
一人で勉強していると、自分が何を知らないのかは見えないんですよね。
誰かに聞かれて初めて、そこを考えたことがなかったと気づきます。
だから私は、質問をされる場面をなるべく減らさないようにしています。
答えられない質問が来た日は、正直に言えば少し落ち込みます。
それでも、その日の夜に調べ直したことは確実に自分のものになります。
教える側になるというのは、自分の未熟さを痛感する機会を毎回もらうことでもあります。
- ・教える側の看板を、一度下ろしてみる
- ・答えられなかった質問は、その日のうちに調べ直す
- ・相手のつまずきを、自分の理解の粗さとして受け取る
まとめ
今回は、教える側になって初めて気づいたことについてお話ししました。
教える側になった人は、偉そうになるか、より謙虚になるかに分かれます。
私は最初、偉そうになる側から始まりました。
私が事業でやりたいのは、なりたい自分になれる社会をつくることです。
なりたい自分になるには、今の自分に何が足りていないかを知る必要があります。
それを一番はっきり教えてくれたのが、誰かに教えるという場面でした。
教える側は、相手を変える側であると同時に、変えられる側でもあると思っています。
あなたも誰かに何かを教える機会があったら、一度だけ受け取る側に回ってみてはいかがでしょうか?
久田晃教える側は、教わる側に戻れる人が一番伸びます。
看板は一度下ろす
