
思考と哲学
前から人が来た時、あなたはどちらにどきますか?それは人生の縮図です
2026.07.18
前から歩いてきた人と、どちらがどくか。
そんな些細なことに、自分の生き方が映し出されていると気づいた瞬間がありました。
この前、家の近所を歩いていたんです。すると目の前から人が歩いてきて、私は自然とどいたんですよね。
相手は何も気にせず、まっすぐ歩いていました。ただ私だけが勝手に気にして、道を譲っていたんです。
その瞬間、ハッとしました。これは本質的に、他人軸で動かされている状態ではないかと。
久田晃「どく」という選択は、誰が決めたのか
冷静に振り返ると、その人がそこにいたから私がどいたんです。つまり、相手の存在によって自分の行動が変わったということなんですよね。
もちろん、これはマナーの話ではないんです。シチュエーション的に、今自分がどくのが最適だと判断したなら、どいてもいいと思います。
ただ、今回お伝えしたいのはそういうことではありません。
誰かが来ても、何も気にせずまっすぐ歩けていますか?
誰かが来ても、立ち止まらず進むような人生を歩んでいますか?
私はその時、こう感じたんです。他人が来たか来ないかによって、自分の人生からどいてしまっていないかと。
自分で引いたレールの上を歩いていたはずなのに、誰かが前に現れた瞬間、そこから外れてしまう。
それって、日常のあらゆる場面で起きていることなのだ。仕事で誰かに意見を言われたとき、恋愛で相手の顔色をうかがったとき。
「人が来たらどいちゃう人生」を、自分は送っているんだ。そう気づいた瞬間でした。
- ● 相手の存在で、自分の行動が無意識に変わっていた
- ● マナーの問題ではなく、マインドの問題
- ● 自分で決めた道を、他人によって変えてしまっていた
堂々と歩くと、世界は変わる
「これはあかんな」と思いました。だから私は、そこから堂々と歩くようになったんです。
もちろん、今どくべきだなと思ったときはどきますよ。そういうことではなくて、これはマインドの問題なんです。
自分が堂々と歩いていると、どうなるか。実は、相手の方がどいてくれるんですよね。
ぶつかるので、自然とそうなるんです。
どいた方が親切かもしれない。でも、私はどきたくないと思いました。
自分がこの道を歩くと決めたからです。
他人がいようが、私はどかない。そう強く思ったんです。
これは歩道の話のようで、実は人生そのものの話である。自分の進む方向を決めたなら、誰かが前から来ても揺らがない。
そういう覚悟を持てるかどうかで、見える景色はまったく変わるのだ。
- ・自分が歩くと決めた道を、他人の存在で変えない
- ・どくべき場面かどうかは、自分で判断する
- ・堂々と歩く覚悟が、周りの動きも変えていく
久田晃まとめ
今回は、前から人が歩いてきた時に「どく」という何気ない行動から見えた、他人軸で生きてしまう危うさについてお話ししました。
UKERUとして、私が大切にしていることがあります。それは「なりたい自分になれる社会をつくる」ということです。
なりたい自分に向かって歩いているのに、誰かが来るたびにどいてしまっていたら、一生たどり着けないと思うんです。
自分の道を堂々と歩くこと。それは傲慢なことではなく、自分の人生に責任を持つことである。
これからも、そういう生き方を発信し続けていきたいと思います。
あなたは今、自分が決めた道をまっすぐ歩けているでしょうか?
もし誰かが来るたびにどいてしまっているなら、一度立ち止まって考えてみてほしいと思います。
私もいまだに、無意識に誰かへ道を譲ってしまう瞬間があります。それでも、自分が決めた方向へ足を戻すことだけはやめないと決めています。
私自身、コンフォートゾーンを抜けるために、普段は絶対しない笑顔で店員さんに挨拶したことがあります。
うまくやるかどうかより、一回やったという事実だけが残ると思っています。
久田晃どく行動に生き方が映る。
他人軸で道を変えるか、自分の道を歩くか。自分が決めた道を堂々と歩く