「明日休みだ、やった!」という気持ちになる人はいないだろうか。
俺はこれを聞いて、一度考えてほしいことがある。
「やった」という感情は、普段やっていることが「本当はやりたくない」「面白くない」「休みたい」という気持ちの裏返しだ。
本当にやりたいことをやっているなら、明日休みだと聞いてもやったとはならない。
久田晃目的がない人生は方向を失う
目的がない状態は、行き先を決めずに旅に出るようなものだ。外に出ても、どの方向に歩けばいいか分からない。
目的地がないから、その場その場の感情で動くしかなくなる。
人間はすべての行動に目的がある。
電気をつけるために立ち上がるように、目的があるから動ける。
目的がないと動く理由がなくなる。
「もっとやりたいのに」と思えているか
俺は今、休みと聞いても「やった」とはならない。「たまにはゆっくりしようかな」「いつもより1時間多く筋トレしようかな」ぐらいの感覚だ。
なぜかと言えば、人生全体に目的があるからだ。 それを達成したい、成し遂げたい、そもそもやること自体が楽しい。だから休みでも気持ちが変わらない。
→ 体験に価値がある
● 休みを聞いて「もっとやりたいのに」と思える
● 休みを聞いて「やった!解放される!」と思う
どちらの感情になるかは、今の生き方を映す鏡だ。下を否定しているのではない。
ただ、上の感情になれる生き方を目指してほしいと思っている。
- ・自分は今、何のために動いているか?
- ・本当にやりたいことに向かって生きているか?
久田晃まとめ
「明日休みだ、やった」という感情に気づいたなら、それを一つのシグナルとして受け取ってほしい。今の生き方に目的があるか。
本当にやりたいことに向かっているか。それを問い直すきっかけにしてみてほしい。
私自身、ふと「早く終わってほしい」と思う日が今もあります。だからこそ、自分は何のためにこの時間を生きているのかを、その都度問い直すようにしています。
それでも前に進み続けることが伝わると、同じように不完全でも動いている人の背中を押せると思っています。
完璧を目指す前に、今日の一歩を踏み出したかどうかだけが残ります。
久田晃「やった!」ではなく「もっとやりたい」と思える生き方を目指せ。
目的のある人生は、休みさえも楽しく感じる。




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